2015年8月17日月曜日

「共感の罠」にはまらないために(前半)



※ この記事は、WEBメディア“Mindful”内の記事http://www.mindful.org/how-to-avoid-the-empathy-trap/の前半を和訳したものです。ご自身の瞑想やマインドフルネス活動の参考にしてください。



自分自身の感情よりも他の人の感情を優先していませんか?そう質問されて思いあたる方は、もしかすると、「共感の罠」にはまっているかもしれません。

共感(エンパシー)は、確かに素敵なものです。他の人の立場に立って考える能力は非常に価値があり、世界をより優しく、穏やかにする善きものであると考えられています。

国を問わず、どこの学校でも子どもたちには他人に共感することを教えます。また、多くの本が様々な角度から―どのように共感性を身につければよいか、共感性を持つことが自分たちをいかによりよい人間にするか、共感性の欠如がいかに酷い人間を育てるか、といった様々な観点で―子どもたちに共感性を身につけさせる目的で作られます。

共感は、禅宗の僧侶であるティク・ナット・ハン氏や、ウェブサイト「Empathy Museum(エンパシー・ミュージアム)」を立ち上げたイギリスのライターであるローマン・クルズィナック氏など、多くの思想家に重要視されています。霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールや発達精神科医のダニエル・シーゲルなどの著名な科学者たちは、動物における共感性の根本的なルーツと、人間におけるその本質を探究しています。ビジネスの世界でも、企業と製品を成功に導くものとして共感性は重要視され、その分野ではデザインファームであるIDEOが一歩先を行っています。私たちは、自身の共感性がどの程度あるか自覚するよう強く促され、自分自身、そして子どもたちにどのようにして共感性を育むかをインプットされます。

他人の感情、特に自分にとって近しい人たちの感情にチューニングを合わせることは、自然だし必要なことです。事実、共感し、共感されることは、親密な大人の関係に不可欠です。「他者の経験への共感的理解は、五感と同様に人に与えられたギフトである」と精神分析学者のハインツ・コフートは述べています。自分の話を聞いてほしい、自分のことを知ってほしい、自分のことを深く理解してほしいという願望は決して消えることのないものです。しかし、共感が人間関係における一番の基本姿勢となってしまうと、精神的な健やかさが失われていきます。

同情(シンパシー)は誰かのために自分の感情を動かす行為であるのに対し(「私はあなたが傷ついたことに対して気の毒に思う」)、共感(エンパシー)は誰かとともに自分の感情を動かす行為を含みます(「私はあなたの失望を、あなたと同じように感じる」)。共感は、慈悲心(コンパッション)とも異なります。慈悲心は、共感よりも少し距離を取ったところから他者の苦しみを愛情深く気にかけることで、その思いには対象を助けたいという願望も含まれます。共感には感情でなく思考も伴い、その対象は2人―気にかけている人と、自分自身―となります。

他の人の気持ちになって考えるために、私たちは感情と思考、そして自分自身と他者のバランスをうまく取る必要があります。そうでなければ共感は罠となり、私たちは自分が他人の感情の人質に取られているかのように感じるでしょう。共感のスキルには、自分を犠牲とすることなく、他者の欲求に注意を払うことが求められます。また、共感するには、感情のチューニングを他者から自分へと適切に切り替える器用さが必要となります。注意を払うことが非常に大きな見返りをもたらすことに気づくと、共感は曲芸レベルの鮮やかな行為へと変わります。そのためには、私たちはいつ、そしてどのように他の人の感情から私たち自身を引っ張り出すかを知る必要があります。

他人の感情の状態に気づき、それを分かち合うのは、複雑な内的体験です。それは、他人と自分の感情を区別する能力、他者の立場になって考えるスキル、自分の感情と同様に他人の感情を認識する能力、そしてそれらの感情を調整するためのノウハウなどの自己認識が必要になってきます。

過度に他人に共感する人たちは、自分自身が何を望み、欲しているのかを感じる力を失う可能性があります。彼らは、自身の心からの関心によって決断する能力が弱くなるでしょう。また、自分自身の感情の偏りからくる心身の疲れを感じ、そして、彼らにとって大事な人たちに、自分の最高のものを与えるための内的資源を失うかもしれません。しかも、果てしない共感は、他の人たちに、彼または彼女の主張のためにあなた自身のリアリティを否定させるような、生活への脆弱性を生み出します。例えば、あなたが友人に、最近友達の集まりから除外されていることへの失望を伝えたときに、友人からはこんな返信が来るのです―「あら、あなた気にし過ぎよ。」

習慣的に、自分の欲求よりも他人の感情を優先させている人たちは、しばしば慢性的な不安や初期レベルのうつ病を経験します。彼らは、空虚さや疎外感、あるいは常に他人の視点から状況を見ているような感覚をおぼえると言います。しかし、何が私たちを共感の罠に陥らせるのでしょう。そして、どうやったら抜け出せるのでしょうか?これらに関するいくつかのアイディアがあります。

共感性のルーツ


赤ん坊は、他者へ共感的になる準備をしてこの世界にやってきます。乳児のときには他者の苦痛に呼応して泣き、自分の身体をコントロールできるようになれば、なぐさめやバンドエイドを差し出すなどして、共感を必要とする人たちに応えるようになります。

子どもたちには、共感性の度合いに差があります。これには、遺伝的な要因や共感性に関連するホルモン分泌が関係していると考えられます。例えば、プロゲステロンが共感性を高めるのに対し、テストステロンは共感性に作用しません。ただ、幼少期においては、共感する能力には明確な性差は存在しません。

共感する能力の多くは神経系に組み込まれており、また、特に、自分に対してあたたかく愛情に満ちた両親の感情が向けられることにより学習されます。親のほとんどは、子どもが自分の悲しみを和らげるためにお気に入りのおもちゃを差し出してくれた瞬間を、宝物として大事にするでしょう。しかし皮肉なことに、多くの親が、子どもが2歳半になるころには彼らの優しさに目に向けることをやめ、共感的なふるまいへの評価は頭打ちとなります。親が、もっと成果を志向したふるまいに対して報酬を与えるようになるためです。

しかし、子どもはときに親、あるいは兄弟の目を通してものごとを見るように、例えば、病気の親戚を見舞うために彼らのしたいことを脇に置くように促されます。多くの子どもが「他者のために存在する」ために、自分自身の感情を無視するよう日常的に要求されます。それらの繰り返しは、後々バランスのよい共感の感覚を育むことを難しくするかもしれません。

後半に続く>






訳:北里史絵

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